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秩父ノスタルジー散歩 第2章 少しディープな市街回遊 前編 [観光]

東京から休日に秩父にいらっしゃるのであれば、池袋発8:30の西武特急ちちぶ7号がよいのだろう。10時少し前に西武秩父駅に到着する。まずは、御花畑駅方面に向かう。改札を出て左、祭の湯の方向に秩父鉄道への連絡通路がある。通路を抜けると。左に踏切が見える。踏切を超えて右手にまっすぐ歩けば秩父鉄道御花畑駅だ。電車に乗るわけではないが、この御花畑駅の構内をまっすぐ突っ切る。
最初の観光ポイントは、まさにこの御花畑駅だ。御花畑駅は大正6年の建築で、国の登録有形文化財に指定されている。既に100年を超えるこの建物には、都会の人が忘れてしまった昔の駅舎の風景が今でも色濃く残っている。木組みの屋根のホーム、改札に立つ駅員、窓口での切符の販売。昭和の映画に出てくるような駅の光景が、現実に目の前にある。この貴重さは、訪れなければ伝わらないだろう。
この小さな駅には二つの立ち食いそば屋がある。御花畑改札に向かって右(西武秩父駅側)の「はなゆう」は比較的最近できたお店だが、「立ち食いそば名店100」にも掲載される人気店になった。一方の改札向かって左の立ち食いそば屋(東町商店街側)は、本当に昔からある店で、秩父では有名なセキタという地元の製麺業者の麺を使っている。秩父では、良くある話だが「珍達そばは、団子坂か横瀬か」のように、この2店もそれぞれの支持者がいる。東京からきて、遅めの朝食をここの蕎麦にするのも悪くない。ぜひご自身で食べ比べてみてほしい。
御花畑駅の構内をそのまま直進すると、「東町商店街」につきあたる。ここを左に曲がり、商店街を歩く。東町商店街は、当サイトでも紹介したこともある昔ながらの商店街だが、近年は閉じる店が増えている。しかし、古くからの狭い路地は、何とも言えないレトロな雰囲気がある。昭和40年代、50年代にはこの通りに人や車があふれていた。そんな時代を想像しながら、ゆっくり散策したい。ここには昭和の時代の古い建物も数多く残っている。
商店街を300メートルほど歩くと、秩父で「大通り」と呼ばれる広い通りと交差する。左手には当サイトでも紹介した「矢尾百貨店」があるが、ここではそのまま真っすぐ歩いて、坂道を下る。しばらく歩くと右手に「八大龍王宮 今宮神社」がある。この神社が昭和の時代に「子供のメンコの聖地」であったことは、以前に当サイトで記した(秩父 メンコの秋~今宮神社の思い出)が、最近は「知る人ぞ知るパワースポット」として、人気を集めている。今宮神社は、秩父札所巡り発祥の地と言われ、1300年以上の歴史がある。この神社のシンボル的存在が、樹齢千年(500~600年という説もある)の欅、「龍神木」だ。これだけの巨木は埼玉県内でもほとんど見られないため、県指定の天然記念物になっている。やはり、人間の寿命を超えて長く生きるものには、独特のパワーがある。太い幹は見るものを圧倒する。この巨木が生育したのには、それなりの条件があったはずだ。そこで注目されるのが、平成の名水100選に選ばれている、今宮神社の武甲山の伏流水「清龍の滝」だ。市街地で清流を手に入れることができるのは貴重だ。この水で、硬貨を洗うと、それが100万倍になると言われている。また、神社で小さなボトルを用意しているので、それを戴いて清流を詰めて持ち帰り、お風呂に少し入れるだけで運気が上昇するのだという。龍神木の脇にある清流の力を分け戴けるのは有難いことだ。境内には、「君が代」に詠われる「さざれ石」もある。さざれ石の実物を見た事のない方は、一度見ておいても悪くない。
神社の参拝が終わったら、西の出口から出て札所14番の方向に歩く。札所14番までは100メートルもない。当たり前だ。明治時代に政府が神社と寺を強制的に分離するまで、今宮神社と札所14番今宮坊は一つの「神様」だったのだ。古くから、日本には神と仏が混然となるような場所があった。有名な三峰神社も、神社ではあるが山門がある。秩父では、いまだに神と仏が混然となった、独特なパワースポットが残っている。秩父「霊場」発祥の地が今宮「神社」と言われているのも、神仏が一体となった所謂「神仏習合」の結果なのである。したがって、今宮神社を参拝したら、札所14番も参拝しなければ、本当の意味でのパワーは得られない。ここに安置されている飛天像は平安時代の初期の作品と言われており、この寺の歴史を感ずることができる。札所14番の観音堂は、江戸時代建立と言われるので、神仏習合を考えればおそらく昔は今宮神社と札所14番は同じ敷地内にあったと想像できる。そう考えると、当時は巨大な聖域を形成していたのだろう。昔から、神社参拝のあとに観音堂お参りがコースになっている。外さないようにしたい。
札所14番の参拝が終わったら、再び札所14番の右側の道に戻り、坂を下る。ここからは、路地を「まっすぐに」下っていく。ここは本当に昔からある道だ。だから実は「まっすぐに」はあり得ないのだ。秩父は戦争での被災がない。したがって、秩父市街の路地は、多分戦前から、多少の拡幅はあったとしても、変わっていない。そのため、道が「直線」ではないし、道幅も広がったり狭くなったりを繰り返す。また、三差路がやたらと多いし、交差点も直角に交わるのではなく、なんとなく変形しているところが多い。こういう手作り感のある微妙に曲がった路地を歩いていると、東京の整備された通りが何故か味気なく感じる。不思議なものである。
この路地は、500メートルほど歩くと、突き当たって終わる。今宮神社から「まっすぐ」降りてきているはずだが、道は微妙に蛇行しているので振り返っても神社は見えない。目の前には、畑が広がる。この辺は蚕を飼っていた農家も多かったので、養蚕農家らしい造りの家も目に入ってくる。今回のコースでは、突き当たったところで右に曲がる。この道は、先ほどまでの道に比べると若干広い。ここからは、秩父夜祭で中近笠鉾が団子坂を登ったあとの「帰り道」で通るコースをなぞる。
中近笠鉾は、中村町と近戸町の二つの町が持つ笠鉾だが、かつては祭りの日に近戸町を笠鉾が通ることはなかった。近戸町にも笠鉾を通してほしいとの地域の声があり、笠鉾の帰りのルートが変更された。近戸町を笠鉾が通るのは、深夜になってのことだ。通り道には、会所が設けられ、町の人が真夜中に引手たちを出迎える。祭りのクライマックスが過ぎ、最後の力を振り絞り倉庫に笠鉾を戻す人たち。それを温かく会所で出迎える近戸町の人々。この光景を見たことはないが、十分に心温まるものではないだろうか。この道を通る時、囃子手が叫ぶ「ホーリャイ」の掛け声も、勇壮な屋台囃子も、観光客に向けられたものではない。真に、地元の発展を願い、この地に感謝するために発せられる。この道には、そのパワーがしみ込んでいる。ここを歩くことは、それだけで十分にありがたい。
少し歩くと、右手に丹党中村氏のお墓がある。さらにその先の左手には天満天神宮につながる路地がある。この天満天神宮は、古いがしっかりとした木組みの鳥居が整備されている。亀戸や湯島の大きな天神様にお参りするのも良いが、こうした小さな天神様にひっそりお参りするのも、ちょっとご利益がありそうな気がする。プチスポットとして、時間があれば、お参りしても良いだろう。
200メートルほど歩くと、変形した四差路につきあたる。目の前には、既に閉店した昔ながらの酒屋がある。昭和にタイムスリップしたかのような光景だ。この道も何とも微笑ましい。すべての道が酒屋の前に集まっている。昔からの道は、飲兵衛達によって、こうやって出来てきたのかな。そんな考えがふと頭をよぎる。
閉店した酒屋の前を左に曲がる。暫く歩くと、昔の織物工場の建物が塀越しに見えてくる。民間のお宅なので外から見えるだけなのだが、古い建物を大変綺麗に残している。更に歩くと、小さな十字路があり、その右手前方に巨大なショッピングモールが見えてくる。ここが、当サイト(街の盛衰を左右するもの~中村町からの考察)で紹介した、秩父蚕糸株式会社工場跡地である。この広い敷地に広がっていた製糸工場を想像するだけで、如何に秩父の養蚕業・製糸業が地場の巨大産業であったかを感じ取ることができる。
ここまで、今宮坊から寄り道をしなければ20分から30分で到着する。ショッピングモールには、秩父が発祥のスーパー「ベルク」も入っているし、当サイト(秩父のハンバーガー屋)で紹介した「マクドナルド」も入っている。秩父の道には、自動販売機が少ない。ここまでの道のりでコンビニもない。このモールで飲み物を買ったり、一休みしてもよいだろう。(次章に続く)

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