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キンカ堂秩父店 B館 [観光]

キンカ堂秩父店のB館が閉店して、1年あまりになる。もともとキンカ堂は昭和40年代半ばにA館のみでスタートした。本町の宝屋から続く商店街を歩き、現在はなき映画館「秩父国際劇場」を過ぎ、右手に瀟洒な木造建築であった秩父駅を見る。左手には主婦の店(現在のベルク)宮側店がたつみやの向かいの、現在は駐車場になっているあたりにあった(その後主婦の店は現在の武銀の位置に移った)。そこを過ぎて少し歩くとキンカ堂である。昭和40年代、この通りは華やかさに満ちていた。
キンカ堂は、当時A館だけなので、このように歩くと左手にあった。では、右手の建物は何だったかというと、トーヨーボールというボーリング場があった。当時ボーリングは日本中でものすごいブームであった。秩父には、このトーヨーボールと、現在のベルク宮地店とケーヨーホームセンターのある場所に、タカブボールという二つのボーリング場があった。
思い返せば、秩父は山間の小都市でありながら、相当の娯楽施設があった。ボーリング場2つ。最盛期は映画館4つ。既述のスケート場にビリヤード場(これは、なんとも雰囲気のある建物だけが現在も残っている)。昔は各戸に車なんてなかったので、秩父市の周辺の人は、電車やバスで旧市内にきて買い物をし、娯楽を楽しんだのだろう。そう考えると、秩父市のかつての繁栄は十分理解できる。西武鉄道が開通する前の、秩父鉄道しかない時代を考えれば、秩父の人が行く「都会」は熊谷ということにならざるを得なかったので、周辺地域には必然的に秩父市への引力が生まれたと考えられる。
キンカ堂開店当時、買い物ついでにボーリングをするお客さんも居て、周辺は相当の賑わいをみせたが、ボーリングはあっという間に下火になり、トーヨーボールは閉館した。タカブボールはもう少し長い間営業していたが、こちらも現在は跡形もない。
トーヨーボール閉店後の建物は、キンカ堂の旧B館として営業を開始した。麦香村というレストランも併設され、人気を集めた。キンカ堂が総合スーパーとして北関東を中心に強力な営業展開を進めた時代と重なり、書籍、家電、レコード、靴、おもちゃ、色々なものがこのB館で取り扱われた。秩父では、「矢尾百貨店」は「百貨店」としてのクオリティーを売り物とした商売をしている。その一方で、キンカ堂は総合スーパーとして「いいものお安く」をキャッチフレーズに、値ごろ感のある商品で人気を博した。
日曜日ともなると、来店客が多くなり、A館とB館を行き来するお客が増える。間を挟む道は国道であり、相応の交通量があるため、警備員が出て交通整理をしていた。A館の前には、既述のニューグンイチという出来立てパンを扱うお店があり、人気があった。
キンカ堂の食料品売り場は、A館の半地下になった1階部分であったが、こちらは一時宝屋の向かいにあったヨコカワというスーパーが入っていた時期もあった。その後、B館は老朽化とともに現在の建物に新築された。新しいB館のオープン時には、林家ペー・パー子さんがゲストで招かれていて、楽しいおしゃべりを披露していた。その後も、B館は総合スーパーとしての豊かな品揃え武器に、秩父の人に支持されてきた。既述のとおり、マクドナルドも併設されて、ちょっとした休憩時にはよく利用した。
B館の閉館は、キンカ堂の総合スーパーからの転換と言う方向性に沿ったものと見られるが、特に食品売り場の閉鎖の影響は周辺住民への影響が大きかったと思われる。かつては、秩父神社横にヨコカワがあり、秩父駅前に主婦の店(現在のベルク)があり、キンカ堂も食品売り場があった。これらが全てなくなった今、宮側町周辺の市内中心部に住んでいる方々は、宮地や中村のベルク等(このほかにも、スーパーはあるが・・・)に行くなど、不便な生活をすることになってしまった。河岸段丘の街、秩父において、これはちょっと車でも使いたくなる距離であり、秩父の中心部の空洞化は激しさを増していると言ってよい。
B館閉店後1年あまり経つが、この跡地をうまく有効活用できれば、市街地の活性化につながる可能性は十分にあると思っている。個人的なアイディアに過ぎないが、例えばこの地に食のテーマパークを作ってみてはどうだろうか。食のテーマパークは現在各地に展開しており、ラーメン、餃子、カレー、広島ではお好み焼きなど各地で人気を博している。秩父で食のテーマパークを企画するならば、「蕎麦」と「ホルモン焼き」だろう。秩父市内には、人気の蕎麦店が数多く存在し、駐車場が足りなかったり、観光シーズンには長い行列が出来たりしている。一方のホルモン焼きは、秩父市内に相当数存在しており、隠れた名物としてテレビ東京の「アド街」でも紹介されている。これらの蕎麦店、ホルモン焼き店をキンカ堂B館に集結させる。ホルモン焼きは匂いのある食べ物なので、蕎麦部門とホルモン部門は別の入り口にするなどして、換気を徹底する。市内の蕎麦店、ホルモン焼き店は、このテーマパークに出店することで、逆に味の面での競争が生まれ、秩父の食文化の深化が図られる。また、この企画においては、秩父市の観光において課題となる駐車場の問題も解決する。キンカ堂B館には大きな立体駐車場がある。ここに観光客を誘致し、秩父神社までの導線に観光客を誘導することも可能であり、地元商店街の活性化を図ることも期待できる。
テーマパークとするからには、ひとつのお店だけ味わうのではもったいない。蕎麦であれば、通常の量の3分の1ほどの量を提供する「食べ歩きパスポート」を作成し、パーク内の3店舗で食べ比べをしてもらってもよい。ホルモン焼きでも同様の展開は可能であろう。ホルモンとあわせて、味噌ポテトなどの「こじゅうはん」のスタンドを整備しても面白い。じばさんセンターでの買い物とあわせれば、観光バスの誘致も可能となるだろう。

しかし、このようなことを実行するためには相当のお金も要るし、色々な人の思惑も錯綜する。頭で考えるほど簡単なものではないし、行政のサポートも相応に必要だ。そういう意味では、この程度のアイディアは責任のない者の浅知恵に過ぎない。しかし、高齢化が進む中、秩父市内の消費者のみで市の中心部を活性化させることは、もはや難しくなってきているように思う。街を活性化させるには、観光客の誘致を通じた「外需主導」も一つの方法であり、それを活用できる魅力的な武器を実は秩父は沢山持っている。上手くそれらを活用して、秩父の中心部が昭和40年代のような輝きを取り戻せればと、何時も願っている。



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