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秩父祭笠鉾特別曳行 [観光]

祭りの神は、いるかもしれない。信心深いほうではないが、そう思う瞬間がある。秩父祭笠鉾特別曳行が行われた平成24年10月7日は、そんな1日だった。
特別曳行の事を初めて耳にしたのは冬頃の事だった。10月の3連休に中近と下郷の笠鉾が正装で曳行される。2台同時の正装での曳行は実に99年ぶりの事だ。しかし、笠鉾をもつ町内の人に聴いても、そのような催しは知らないという人もいた。実際、市報で報じられるまで、多くの市民が特別曳行を知らなかったのではないだろうか。
前日からの雨。下郷ではビニールシートの中に花笠がつけられた笠鉾を収納したが、中近は黒い布で笠を覆い、花はつけなかった。中近は、当初8時30分の出発を予定。しかし雨の影響で、花笠をつけて漸く出発に至ったのは、11時頃であった。同じころ、下郷は秩父神社で出発に際しての式典を実施。国会議員も駆けつけ、電線地中化への熱い思いを語っていた。1億円。たしか、そんな金額を仰っていたように思う。それだけのお金が地中化にはかかるらしい。過疎化の進む街に、祭り1日のために1億円もかけるのか。役人ならそう言いそうだ。ほかにメリットは無いのか。他市町村と比較した場合に、敢えて秩父市の電柱を地中化する意味が祭りだけとすれば、この財政難の中、説明がつかない。そんな、やり取りを想像しながら、苦笑した。
しかし。祭りの神は、なんと悪戯好きなのだろう。2台の笠鉾揃っての特別曳行の朝に、「雨」を用意した。しかも、昼過ぎからは、暑さまで感じるほどの晴天。夜は、清清しい秋の陽気となった。新聞報道によれば、将来の本祭での曳行を試す目的で、今回は様々な試みを用意したという。約2キロに及ぶ曳行。坂道での牽引、行灯・提灯をつけての曳行など、本祭で欠かせない要素は、網羅的に取り入れられた。しかし、自然環境だけはどうしようもない。雨の日にはどのような準備をすればよいのか。天候面での確認作業は、晴天であれば机上で終わってしまう。特別曳行前日からの雨、その後の晴天で、天候面の確認までも網羅的に実践できた。「私も、少しは協力させてもらおうかな。」もし、祭りの神がいるのであれば、後ろを向きながらにやりと笑って呟いたに違いない。
「今日はいいものを見た。」街でお年寄りがしみじみと呟いているのを聞いた。正装の笠鉾は15メートルもの高さがある。前回2台の笠鉾が同時に牽引されたのは大正時代のことだ。当時は高い建物も大してなかっただろう。その中で、3階建ての建物以上に匹敵する「建造物」が動くわけであるから、観客は度肝を抜かれたにちがいない。「昔は、よくおっ倒れたらしいよ」。正装で牽引された笠鉾について、そんな話を随分昔にお年寄りから聴いた事がある。団子坂は、確か昭和50年代でも舗装されていない時期があった。当時の団子坂は、今よりももっと急であったと話す人もいる。「舗装すると、屋台の牽引時に逆に危ない」という理由から、長い間団子坂は砂利道だったという話を聞いたこともある。今の団子坂は昔に比べれば緩くなった、昔は滑って中々登らなかったなどと、お年寄りが話すことがある。アスファルト舗装をする際に、坂が緩くなったのか、その辺の感覚はよくわからない。しかし、道路事情が良くない明治・大正時代に15メートルの笠鉾が「おっ倒れたらしいよ」という話も、全くありえない事ではないと言う気もする。
公園橋通りの坂道の牽引は、団子坂と同じように行われる。夜祭当日の朝は、下郷の笠鉾が神社に向かう途中、この道を通る。団子坂の牽引は、桟敷でも取らなければ見ることができないが、ここの牽引はゆっくりと見ることができる。夜祭が好きな人は昔から知っているスポットだ。ここを、今回は中近・下郷の2台の笠鉾が通った。
特に、中近は笠鉾収蔵庫からの牽引という「初めての試み」を行うこととなった。「初めて」と敢えて記したのは、中近の場合、笠鉾収蔵庫ができる以前は、祭りの前に古い土蔵に収蔵された部品を中村町の公会堂で組み立てて、そこから出発していたからである。調べたわけではないが、大正時代も恐らくこの「公会堂」ルートで牽引されたのではないだろうか。今回のベルク公園橋店の上の路地を通過するルートは、今回のみならず、普通の祭りでも使わないものである。計算上は行けるというのはわかっていても、町内の人たちは相当の緊張感をもって見守ったのではないだろうか。特に、ベルクの上の路地では最初の転回がある。その前は、緩い下り坂であり道も細い。難しいオペレーションにハラハラした人も多かったに違いない。公園橋通りに出るまでは、窮屈な曳行が続く。広がった笠が電線に絡むのを防ぐために、木製のT字型の道具を使いながら花を抑えて慎重に進む。途中で、それでも電線に花がひっかかり、はらはらと紙の花が舞い落ちる。それはそれで美しい光景だ。子どもが舞い落ちた花を拾って喜ぶ姿も微笑ましかった。
坂を登る光景は圧巻だった。予想以上に笠鉾はゆらゆらと揺れた。坂で倒れないよう、柱に紐をつけ、一緒にぐいぐい引いていく。坂の途中では、特別展示された道生町の笠鉾が待ちうけ、通過の際には屋台囃子を演奏して歓迎した。道生町は、平成9年に上町から笠鉾を購入するまで、夏祭りには、太鼓を乗せただけの簡易な山車を牽引していた。今回の展示では、そんな昔の山車も展示されていた。以前の山車では勇壮な秩父屋台囃子は演奏できなかっただけに、道生町は本当に笠鉾を大事にしているという印象をもっている。今回は、道生町をはじめ、夏祭りで牽引される屋台・笠鉾の一部も同時に公開された。夏祭りは子どもの祭りであり、冬祭りに比べれば屋台・笠鉾は小ぶりだが、それでも相当立派である。そんな山車の数々を冬祭りの山車と同時に見られる機会は実はそれほどない。そういう意味でも、貴重な一日であった。
特別曳行に集まった観客は13万人ほど。通常の夜祭が20万人から30万人であるので、それほど多くはなかった。実際、曳行は相当間近で見られたし、観客で押しつぶされそうになることもなかった。しかし、それでも多くの課題を特別曳行は残した。今回は、秩父神社の前を除き、ほとんど露天は出店していなかった。だから、警察の指示に従い観客は歩道に避けて笠鉾を見ることができた。しかし、秩父夜祭の人出は土曜日にぶつかれば30万人にもなる。動くのも難しいほどの人出とびっしり並ぶ露店。団子坂までの電柱が完全地中化しても、観客の安全を確保しながら巨大な笠鉾を曳行するのはかなりの困難を伴うだろう。恐らく正装での完全曳行が可能になれば、マスコミも大きく報じる。予想をはるかに上回る観客が市内に流入する可能性まで考えると、今まで以上に「夜の立入禁止エリア」を広げざるを得なくなるかもしれない。また、これもあくまで予想に過ぎないが、安全性確保の観点から、転回に伴うリスクを最小限にするため、団子坂を登らずに13番の前の道をまっすぐ登ってお旅所に入るルートも検討されるかもしれない。しかし、それでは夜祭の醍醐味が半減するし、こんな予想は当たらないほうが良い。
夜の闇に浮かび上がった笠鉾は本当に美しかった。本町の交差点で転回した際は、その美しさに背中がゾクッとした。ぐるりと回るその途中途中で笠鉾の表情が微妙に、しかし確実に変化していく。まるで長い髪の美少女が振り向くかのように花笠が舞い、歓声がこだました。

次に正装が見られるのはいつなのだろうか。夜祭なのか、今回のような特別曳行なのか。いずれにせよ、そのときまで、この記憶は大切にとっておきたい。

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