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秩父夜祭 その2 観光と伝統の狭間で [観光]

今年の秩父夜祭は例年にない暖かさであった。朝方山車を見ていた観光客の方が、ため息混じりに「凄い山車だよな。何でこんな田舎町にこんなすごいのがあるんだよ。」と、おっしゃっておられた。こうおっしゃるのも無理はない。秩父市の人口は7万人あまりであるが、それは市の広大な面積を踏まえたうえでのもの。秩父夜祭の舞台となる旧市街の中心部の人口は5千人足らずだ。それだけの街になぜ日本を代表する豪華絢爛な山車があるのか。それを、現代の経済感覚で考えると答えが出なくなる。結局、秩父地方は昔は養蚕と織物で相当に栄えていたということに尽きるのであろう。そうでなければ、街の規模と山車がつりあわないのである。
今年の人出は19万3千人。祭り見物が堪能できる限界の数値である。上述のとおり、秩父市の中心部は人口の割りに意外と狭い。秩父神社から牽引される屋台が目指す「お旅所」と呼ばれるところまでは凡そ1キロ。通常5千人程度しか生活しないその場所に一気に40倍あまりの人が流入するのである。街の中は、電車のラッシュアワー並みの混雑となる。今年は、水曜日開催であるのでこの程度の人出であったが、土日に重なるとこれが30万人規模の人出となる。
このレベルになると、ほとんど身動きが取れない状況に陥る。路地裏まで観光客であふれかえり、祭りを楽しむ余裕はなくなる。秩父夜祭を心から楽しみたいと思われる方は、無理をしてでも平日にお越しになられたほうが良い。
秩父夜祭は、観光化に対してある程度の距離を置いている。たとえば、頑なに「冬祭り」の伝統を守っている。秩父は内陸性気候で冷え込みが厳しい。12月ともなれば、例年氷点下に気温が下がるわけで、そんな冬の夜に長時間祭り見物をすることは、観光客の方々には過酷といってよい。もしこれが11月開催であればぐっと観光客の方々にとっては楽になる。また、上述のとおり毎年土日の開催にすれば、経常的な観光客の来訪増が見込めるが、それも一切しない。秩父神社は大祭を12月3日と決めて一歩も譲らない。観光のために神事を行っているわけではなく、その伝統は守るべきというのが一貫したスタンスである。
この決断はある意味潔い。そうであれば、逆にそれを活用すればよい。秩父夜祭は、実はもう一つの顔を持っている。秩父夜祭は、関東最大の「冬の花火大会」でもあるのだ。花火大会といえば、夏を連想するのが普通だが、冬は空気が乾燥している分、空がきれいに澄み渡る。したがって花火はとてもきれいに映える。今年も、キャノングループが協賛する日本芸術花火大会が行われ、日本全国選りすぐりの花火職人の方々が、競って花火を打ち上げた。19時30分に始まる花火大会は22時まで行われ、その圧倒的な打ち上げ量に感嘆の声をあげる観光客の方も多い。質、量ともに日本有数の花火大会であることは間違いないであろう。「冬の花火大会」は、「冬祭り」を生かした逆転の発想と言ってよい。花火好きの方であれば、花火だけを見に秩父夜祭にこられても後悔のないレベルではないだろうか。
12月3日開催を頑なに守る秩父夜祭だが、安全面の配慮からの変更は行われている。たとえば、屋台・笠鉾はもともと秩父神社前の番場通りという狭い通りを通って「お旅所」に向かっていたが、観光客の増加により牽引が危険になったため、旧国道の2車線道路(通称「大通り」)を牽引したり、一部の屋台の牽引ルートを変更したりしてより安全に祭りが行えるような配慮が行われた。番場通りから、大通りに牽引ルートが変わった年は、ずいぶん祭りが見やすくなったと感じたものだが、その感覚はすぐに慣れてしまった。
また、昔は山車の牽引は男性のみであったが、最近は女性が半分程度占めるようになった。男女同権の時代の反映や、市内の人口高齢化の影響もあるのだろうが、女性が入った分、以前よりも牽引の仕方に荒さがなくなったとも言われている。ただし、囃し手は未だに男性のみであり、そこはやはり伝統を守っているのだろう。
秩父市は、高齢化が急速に進んでおり、この大きな祭りを守るためには、観光との並存は必須の課題といわざるを得ない。その点に関してはうまく折り合いをつけながら、伝統を守っているという印象を持っている。


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