SSブログ
前の1件 | -

秩父ノスタルジー散歩 第3章 少しディープな市街回遊 後編 [観光]

(前章から続く)
さて、先ほどの小さな十字路に話を戻す。織物工場の敷地の角にある蔵を回り込むように右に曲がる。少し歩くとT字路がある。ここが、当サイト(秩父祭笠鉾特別曳行)で記した、中近笠鉾特別曳行の際の「ベルクの上の路地での最初の転回」の場所である。このT字路を右に曲がると、微妙な坂道になっていることが感じられる。この狭い、微妙な下り坂で笠鉾を展開させたのかと思うと、当時笠鉾を曳行された方々の技術の高さに感心してしまう。
少し歩くと左手に札所16番西光寺がある。札所16番は、このコース2つ目のパワースポットだ。この寺院の本堂右には、「八十八仏廻廊堂」がある。この廻廊堂には、四国八十八箇所霊場のご本尊を模した諸仏が安置されており、全てを拝めば四国霊場巡礼と同じ功徳を得ると言われている。「そんな都合の良い話はないのでは?」と思う方もいらっしゃるだろうが、この廻廊堂の成り立ちを知ると、見方は少し変わる。八十八仏廻廊堂は、1783年の浅間山の大噴火やその後の天明の大飢饉での多数の餓死者を供養するために、時の住職が建立を発願したものである。実に、この地に200年以上の歴史を持って守られてきた貴重な廻廊だ。確かに現代の感覚で考えれば、「四国を回らずに功徳を得るなんて」という発想にもなるが、200年前の秩父の人々が四国巡礼をすることは到底不可能だった。飢饉の供養のために浄財を集め、少しでも四国霊場の功徳にあやかりたい。そういうの人々の純粋な思いがこの廻廊に込められ、以後長い間大切にお参りされてきた。地方の一寺院にこのような廻廊が整備されていることは極めて稀だ。四国霊場のパワーはもとより、200年を超える人々の祈りが詰まったこの廻廊のパワーを分け戴くことは、本当に有難いことだと思っている。廻廊堂の中庭には、金毘羅堂と、かつては全ての札所に必ずあった納札堂がある。本堂左手には、酒樽大黒様が安置され、参拝者の名刺が山ほど貼られている。16番は、札所の中でも見どころの多い寺院だと思う。
西武秩父駅からここまで、ゆっくり回れば2時間、急いで1時間から1時間半といったところだろうか。このコースの利点は、行く先々に必ず「お手洗い」がある事だ。トイレに困ることはまず無い。一方で、飲物の手当が難しい時があるので、先ほどの「ベルク公園橋店」は有難い存在だ。
旅を続けよう。16番の表参道を戻ると左に小さな郵便局があり、その先に中近笠鉾の巨大な収蔵庫がある。秩父夜祭の際は、ここから笠鉾が出発する。折角なので、このあとは中近笠鉾が秩父神社に向かう行程を辿り、秩父の「祭パワー」を一身に浴びてみよう。中近笠鉾は、普通は1年に1度、12月3日にしか曳行されない。収蔵庫を出ると、笠鉾は左に曲がる。秩父祭笠鉾特別曳行の際、収蔵庫を出て右に曲がったのは、特別中の特別だ。
この道路をじっくり観察すると、普通の道路にない特徴に気づく。重量のある笠鉾が通った後にできる白っぽい「轍」だ。これを追いかけると、笠鉾は決して道の真ん中ばかりを進んでいるわけではなく、秩父の昔からの道の微妙な「くねり具合」を見ながら、ポジションを調整していることがわかる。毎年1回の曳行といえども、長い年月の間に同じようにポジション取りをしているので、同じような轍が出来上がる。秩父夜祭の歴史をこんな所にも感じてしまう。
そんな笠鉾の轍を追いながら少し歩くと、秩父の古い道に良くある、「変形した十字路」に行き着く。こういう交差点を人に案内するのは結構難しい。この十字路の場合「左に曲がる」は、多分誰でもわかる。ちなみに、この十字路を左に曲がると天ざるの名店「わへいそば」がある。問題は、「真っすぐ」と「右に曲がる」だ。どちらの道も右に曲がった感じになるので、「坂を上がるほうの道」「坂を上がらず、右に曲がっていく道」という風に、説明している。今回は、「坂を上がらず、右に曲がっていく道」を進む。
右側に、大きな建築会社の建物を見ながら、少し歩くと道は突き当たる。右を見ると、先ほどの閉店した古い酒屋だ。目の前は、昔は自転車屋、豆腐屋、八百屋などであった建物だ。左側には、中村町公会堂がある。この道を左に曲がる。
この通りが、当サイト(街の盛衰を左右するもの~中村町からの考察)で紹介したこともある「中村町の小さな商店街(跡)」である。昭和に活況を呈したこの通りも、店は殆ど無くなった。昔からある旅館が、僅かにその名残を残す程度である。
この道は、なだらかな登坂であり、旅館の先から傾斜が急になって十字路に突き当たる。左前の石垣は、古くから秩父の健康を支えている内田医院だ。内田医院の十字路を左に曲がる。この左に曲がる行程が、中近笠鉾が通るルートだ。少し進むとT字路のようになるが、右に進むのが「道なり」だと感覚的に誰もがわかる。「道なり」に進むと、対向車がやっと交差できる程度の狭い道の両側に、昭和から殆ど変化していない建物が軒を連ねている。昔からやっている和菓子屋さん、古い蔵のある久喜医院。その先の古い木造の建物まで、何度通っても味わいのある通りだと思う。
この通りも河岸段丘特有の地形で、暫く歩くと信号を目の前にして急に坂がきつくなる。両側は、古い木造の建物だ。坂を登り切った信号が、当サイト(秩父の中心地)で記した、「昔は、信号が変わるときにベルが鳴った信号」である。「秩父の中心地」では、この交差点に「宝屋」というデパートがあったと記したが、今は取り壊されてコンビニになっている。この交差点を真っすぐ進むと秩父神社であり、中近笠鉾はそのまま神社に進んでいく。交差点を横切る2車線道路が通称「大通り」。右に曲がって少し歩くと、当サイト(昭和の夏休み~宮前と宮ノ前科学の間に見えるもの)に記した玩具店の「みふね」や、新しい建物になった「読書クラブ」、当サイト(秩父のネーミング)でも記し、今や押しも押されぬ人気店となった豚の味噌漬けの精肉店「せかい」などがある。更に、奥に目をやると、当サイト(巨人軍選手のサイン会~秩父矢尾百貨店)に記した、矢尾百貨店の看板も見える。逆に、左に歩くと、今や「町中華」よりも更に貴重となった、昭和の時代から続く「町洋食」の「レストランみのり」や、当サイト(秩父の映画館)で記し、その後建物が存続した「旧国際劇場」、更に進めば武甲酒造や取り壊されてしまったショッピングセンターの「キンカ堂」の跡地を見ることができる。
恐らく、本町交差点に着く頃には、昼食の時間となっているだろう。「レストランみのり」で昭和レトロなレストランの雰囲気を味わうのも良いだろうし、「せかい」で折角なら豚の味噌漬けを食べるのも良い。旧国際劇場はイタリアンレストランになったので、昔の劇場の建物の中で食事をしてみるのも良いだろう。大むらでわらじかつと蕎麦を食べるのも人気のようだし、この辺には気になるお店が山ほどある。
食事が終わったら、本町交差点に戻り、今や超有名パワースポットとなった秩父神社を訪れてみたい。
この秩父神社であるが、戦前の「近代社格制度」によって「国幣小社」に位置づけられていたことが、正面鳥居前に建てられた「社名標」でわかる。社格制度は、戦後GHQの指導により廃止されたが、秩父神社では幸運にも戦前に建てられた社名標が残り続けたため「国幣小社」という貴重な四文字を今でも見ることができる。
秩父神社の見どころは、各種ガイドブックで十分に語られており、ここで上乗せする情報は少ない。しかし、その中で敢えて注目したいのは、本殿裏手に古くからある天神地祇社だ。ここには、全国の一宮を中心に計75の神々が祀られている。これは、ご祭神の八意思兼命が多くの神々の意見をお聞きになり、聖断を下される神として神話に語られていることから、祀られているという。言い換えれば、天神地祇社をお参りすれば、秩父神社の他に75の神々もお参りできるということだ。
さて、ここまでの行程をもう一度振り返ろう。今宮神社、札所14番今宮坊、札所16番西光寺、秩父神社に加え、札所16番の「八十八仏廻廊堂」、天神地祇社の75の神々。合わせて160を越える神仏のパワーを、この2時間半あまりの散策で戴く。しかも、札所16番から秩父神社に向かう行程は、中近笠鉾が年に1度の大祭で、朝一番の宮参りに向かうルート「そのまま」であり、長い歴史の中で染み込んだ「祭パワー」まで十分に身に纏うことができる。
秩父神社から、西武秩父駅へは、神社の鳥居をくぐって、目の前にある番場通りを真っすぐ進めば戻れる。最近は、番場通りも観光客を意識した飲食店が増え、古い建物の内装をリニューアルして、活用する例も増えてきた。しかし、西武秩父駅を降りて、2時間半あまりの散歩道でこれだけのパワーを戴けることは案外知られていない。

確かに、三峰神社は物凄いパワースポットだと思う。一度行けば、あの神社の持つ底知れぬパワーは誰もが感じる。宝登山神社も素晴らしい。しかし、実は秩父の市街地も、街全体で一つの巨大パワースポットを形成している。番場通りをすっと通って秩父神社に行くだけでは本当に勿体ない。秩父市街地は、もっと注目されて良いと思う。そして何より、この散歩道の旅は、当サイトで紹介してきた「秩父のすこし昔」を感じられる旅でもある。 
「秩父ノスタルジー散歩」。そんな呼び方も良いかもしれない。だが、この狭い路地は決して車で訪れる場所ではないし、沢山の車が通ることを想定して作られた道でもない。自分の足で歩いて、空気に触れて、初めてこの街のパワーを取り込める。そして、歩いてこそ感じるこの街独特の静寂感は、都会で生活する方々の心をじわじわと癒してくれる。たった東京から1時間20分。でもここには、あふれる情報も喧噪もない。静かに歩き、感じる。この散歩道で出来る事は、「たったそれだけの事」だ。だが、「たったそれだけの事」が都会では出来ない。この散歩を終える頃、心の中のコップは、全く別の物で満たされているに違いない。
nice!(0) 
共通テーマ:旅行
前の1件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。