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秩父のスケート場 [観光]

今年も、例年通りの寒い新年となった。外のバケツには1センチほどの厚さの氷が張っている。秩父の冬は寒い。しかし、雪はほとんど降らない。この気象条件を生かして、かつては屋外スケートリンクが営業していた。
秩父のスケートリンクでもっとも有名なのは、秩父鉄道「白久」駅前で営業していた「秩父スケートセンター」であろう。これは秩父鉄道が経営し、1週400メートルにもなる大きなスピードスケートリンクを擁した埼玉県内随一のスケートセンターであった。秩父市内の中学・高校にはアイススケート部があり、白久のスケートリンクを練習場としていた。このリンクで練習を積み、オリンピックに出場し銅メダルを取った選手もいた。秩父スケートセンターは、単に秩父地方のリンクにとどまらなかった。熊谷高校のスケート部も練習場は白久だったと聞いたことがある。白久のスケートリンクは、県北のアイススケート人口を支える重要な存在であった。
秩父鉄道としても、スケートリンクの営業には相応の期待を込めていたのではないかと思われる。秩父から三峰口までの路線は、三峰神社参拝や浦山のキャンプ場を睨んだ展開であると考えられるが、これはどう考えても夏の商売である。冬のこの路線を支え、鉄道を利用してもらう有力な手段として、スケートリンクが位置づけられていたと考えてもなんら違和感はない。秩父鉄道は、かつて熊倉高原開発を手がけ、白久駅から熊倉山に進む登山道の入り口にスケートセンターを作った。山を登れば、かつては月ヶ峰キャンプ場があった。あくまで想像の域を出ないが、こうした総合的なレジャー開発の一環として、秩父スケートセンターの存在があったとも考えられる。
秩父の子供たちは、かつては結構な割合でスケート靴を持っていた。近くにスキー場のある地域の子供は自分のスキー板を持っている。それと同じ感覚でマイシューズを持っていた。男の子は、エッジの長い「スピード」か、エッジが短く扱いやすい「半スピード」。女の子は「フィギュアー」を持っていた。たまに、お金持ちの男の子はホッケー靴を履いていたが、これはレアであった。子供なので、足はすぐに大きくなる。小さくなったスケート靴は、小さい子供のお下がりとして下の子や近所の子に使われた。冬の日曜の朝、小さい子供は親に連れられて、大きな子供は友達同士で近所の秩父鉄道の駅に向かう。スケートリンクが開いている間、秩父鉄道ではスケート場の入場券と白久までの往復切符がセットになった割引券を売っていた。これを買って、電車に乗り込む。電車の中には、必ずといって良いほど学校の同級生が乗っていた。それほど、スケートは子供たちにとって普通の冬のレジャーだった。
スケート場には、お弁当を持って行った。朝のスケートリンクでは、硬い上質の氷が待っていた。滑るとシューズのエッジが氷を切り裂く音が気持ちよかった。リンクに行けば、ただひたすら滑った。昼ごはんを食べて、また滑った。単純な作業の繰り返しだったが、それが楽しかった。昼過ぎになると、屋外リンクの宿命で氷が溶けて水浸しになる。転ぶと厄介なことになるので注意して滑るが、それでも転び、ズボンが濡れた。氷の上での転倒は本当に痛い。痛さに冷たさが加わり、衝撃が倍増する。これを知っているので、フィギュアースケートの選手が転倒すると同情してしまう。
午後3時にもなると、さすがに滑るのにも飽きる。氷の状態も悪くなるので、電車の時間を調べておいて、その時間になるように帰りの準備をし、スケート場を後にする。白久の駅で電車を待つ間、駅前の売店で小さいサイズのカップめんを買って食べたりした。買うと、おばさんがお湯を入れてくれた。これがやけにおいしかった。
秩父市内の小学校では、高学年になるとスケート教室が開催された。学校の授業として白久のスケートリンクに行き、先生が滑り方を指導してくれる。子供にとっては冬の大きな楽しみの一つであった。

秩父地方では、その後芦ヶ久保にスケートリンクができた。こちらのリンクは、西武鉄道が経営するもので、ホッケーもできる四角いリンクであった。芦ヶ久保の方が、秩父市内から近かったので、こちらを利用する人もその後出てきたが、広さでは白久が圧倒していたので、本格的にスケートをしたい人は白久を支持した。
秩父市内(正確には小鹿野町なのかもしれないが)にリンクができたのは1998年になる。これは、秩父ミューズパークに開設されたリンクであり、西武系のリンクであった。流水プールに併設されたリンクであったが、あまりうまくいかなかったのだろう。4年で閉鎖してしまった。

秩父の子供たちの歓声が響いた白久のスケートリンクも、芦ヶ久保のスケートリンクも1990年代には閉鎖し、ミューズパークのリンクも閉鎖した今、秩父のスケートリンクはなくなった。白久のスケートリンク閉鎖のニュースは新聞の地方版にも掲載された。閉鎖を決定した際、関係者は「今の子供の遊びは多様化した。冬はテレビゲームで遊んでスケート場にこなくなってしまった」というようなコメントをしていた。

フィギュアースケート選手の活躍などを背景に、スケートへの注目が高まっている。こうした中、秩父のスケートリンクをもう一度復活させたらどうかという意見を持った秩父の市議会議員の方もいらっしゃるという。ミューズパークであれば、駐車場も広く、県北一帯からの集客も見込める。秩父市にミューズパークの経営が委譲された今、かつての秩父鉄道が冬の鉄道利用の起爆剤としてスケートセンターを作ったように、スケート場を再開させることも一つのアイディアかもしれない。
とはいえ、一度テレビゲームの楽しみを知り、暖かい家の中で遊ぶことに慣れた子供たちをスケート場に引きずり出すことは容易とはいえない。また、少子化も進む中、スケートリンクを再開するのには相当のエネルギーが必要であるのも事実である。今の時代にスケート場が次々に閉鎖するのにもそれなりの事情があるのだろう。

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